EIWAT — 50TH ANNIVERSARY FILM

この会社の物語は、
戦後の日本から始まる。

無から有を創る『モノづくり』に魅せられた男、柴田政高。

共同経営する会社は倒産し、多額の借金を抱えた。

家族を九州へ移し、大阪でひとり。

仕事場は、畳一畳。

「畳一畳あれば、世界と戦える。」

── 初代 柴田政高

ニクソン・ショック、変動相場制──日本経済が揺れていた。

1972

人々の争いがなくなり、和が栄えるように──

栄和鉄工所、創業。

「鉄は、争いの道具にも平和の礎にもなる。私は、後者を打つ。」

── 初代 柴田政高

1994

二代目・柴田政明、就任。

防衛省・原子力関連を手がける、確かな技術。

だが現場は、安く叩かれ、納期に追われていた。

──このままで、いいのか。

「誰かの犠牲の上に築く繁栄を、成功とは呼ばない。」

── 二代目 柴田政明

答えを探して、海を渡る。

デンマークエネルギー自給率100%を実現した国
ドイツ環境に配慮しない製品は、買われない国
モナコごみ処理場が、街の誇りになる国

環境に配慮したモノづくり──未来が、見えた。

「答えは、遠くにあったのではない。未来にあったのだ。」

── 二代目 柴田政明

株式会社エイワットへ。

Think Globally, Act Locally.

地球規模で考え、足元から行動する。

大阪初、市民共同の太陽光発電所。マイクロ水力タービンの開発。

それでも、日本は変わらなかった。

「小さな町工場が、地球の未来に手を伸ばして、何が悪い。」

── 二代目 柴田政明

2011.3.11

東日本大震災。福島第一原発事故。

訴え続けた最悪の未来が、現実となった。

「間に合わなかった。だから、これからの全てを懸ける。」

── 二代目 柴田政明

国を挙げた、エネルギー社会の見直しが始まる。

2012年、大阪に自社太陽光発電所を建設。

1MW

設計も、調達も、建設も、全て自社で。

日本全国へ。太陽から、地熱へ。

「太陽は、誰の頭上にも等しく昇る。」

── 二代目 柴田政明

SINCE 1972 — 2022

50

祝福の鐘は、 行進の ドラムロール だった。

コロナ、円安、原油高騰──そしてFITの終焉。

それでも太陽は昇り、再生可能エネルギーの真価が証明された。

「五十年は、通過点。祝杯は、未来で挙げよう。」

── 二代目 柴田政明

未来の子どもたちが、健やかに暮らせるように。

全ての事業は、「人々を想う」ところから始まる。

EIWAT

EIWAT — 50TH ANNIVERSARY

一畳の闇から、地球の光へ

この会社の物語は第二次世界大戦後の高度経済成長期の終焉から始まる。

戦後畳一畳から

戦後の疲弊した日本経済で、後の栄和鉄工所の初代代表にあたる柴田政高が金属機械加工会社の副社長を務める。前職は大手機械メーカーの設計部門に勤め、無から有を創る『モノづくり』に魅せられた後に、更なる成長を求めて金属機械加工会社の共同経営者への道へ進む。しかし、戦後の混乱した経済での安定はなく、あえなく会社は倒産し、共同経営者であった政高は多額の借金を抱える。借金返済に努める為、家族を妻の実家の九州へ移し、ひとり大阪で自宅の畳一畳のわずかなスペースで金属機械加工を行う。

1972栄和鉄工所、創業

1972年、ニクソン・ショックや為替の変動相場制への移行で日本経済が波乱に見舞われる中、「人々の争いがなくなり、和が栄える」という思いから、栄和鉄工所を設立する。プレス機の金属部品から、原子力発電機器の部品等、日本のものづくり産業の向上と共に、長い年月をかけて栄和鉄工所の技術も向上していった。

1994二代目の疑問

第一次オイルショックに端を発して高度成長期の終焉、プラザ合意、バブルの崩壊を乗り越え、1994年、2代目代表取締役 柴田政明が就任する。先代の金属機械加工業を軸とし、防衛省・原子力関連の製作に携わる。しかし、柴田政明は、現場から見る疲弊した中小企業の在り方に疑問を持つ。中小企業は大手企業に安価に叩かれ、納期を催促される。なぜ、頂点の部分だけの成功がクローズアップされ、膨大な利益が生まれるのか。「大企業の成功を支えてきたモノづくりの現場・基盤が失われつつある。」エイワットに新たな可能性を見出す為、モノづくりの研修会に参加し、そこで出会った「環境に配慮したものづくり」という言葉がエイワットの未来を変える。

1997欧州で見た未来

1997年、柴田政明はデンマーク、ドイツ、モナコへ飛び、環境政策・再生可能エネルギーの技術を学ぶ。デンマークは1985年に原子力発電に依存しない政策を採択する。100年後の子孫も健やかに暮らせる為のエネルギー源として、太陽熱や風力発電、バイオマス発電等の持続可能なエネルギーを選択し、1997年にはエネルギー自給率100%を達成する。酪農が盛んな国の特性を生かし、家畜の糞尿をメタン発酵させて熱とメタンガスをエネルギーに変えるバイオマス発電が再生可能エネルギーの半分を占める。一方ドイツでは、国民の環境意識の高さに感銘を受ける。

当時の日本の自動車廃棄方法は、自動車をそのままプレスして廃棄していた。しかし、ドイツのベンツやBMWでは原材料ごとに部品を分類し、その原材料を基に新たな生産を行うといった、環境に配慮されたモノづくりが行われていた。単に、自動車メーカーが環境問題を意識してのことではなく、環境に配慮されていない製品は消費者が購入しないといった不買運動が起きていたからである。また、モナコではごみの回収が夜中に行われる。街中から集められたごみの行先は、ごみ処理施設とは思えないほどの洒落た建物であった。日本では出勤する際に、家を出て一番に目にするのは山積みにされたごみ袋という人も少なくないだろう。街の景観を損ねず、ごみのイメージを一新する取り組みに柴田は感銘を受けた。

1999株式会社エイワットへ

町の小さな鉄工所の社長が感じた「自然の力を有効に活用した人々の暮らし」、「環境に配慮されたモノづくり」と「消費者の環境意識」が栄和鉄工所の未来を変える。1999年、株式会社エイワットへ社名変更。理念を『Think Globally Act Locally(地球規模で考え足元から行動する)』とし、本格的に自然エネルギー事業を始動する。しかし日本での環境問題への意識は殆ど無い。自ら大阪初の市民共同の太陽光発電所の建設や、金属機械加工で培った技術力でマイクロ水力タービンの開発、環境省や大学での講演、セミナー等を行い、環境問題を訴え続けるが思うように成果はでない。2011年3月11日、柴田が訴え続けた最悪の未来が現実となる。

2011現実となった警鐘

東日本大震災による福島第一原発事故が起きる。周りを海に囲まれた島国『日本』から全世界に広がる大規模な環境汚染が始まり、国を挙げたエネルギー社会の見直しが行われる。再生可能エネルギーにおける固定価格買取り制度の導入、一般家庭や小規模店舗への電力の自由化等、再生可能エネルギーを促進する政策が立てられる。2012年、大阪に1MWの自社太陽光発電所を始動する。これまでに培った技術力とノウハウでシステム設計から物品調達、建設工事までを一貫して自社で行い、現在では日本全国で5MWの太陽光発電所を所有し、新たに地熱発電所を所有する。

2022創業50周年

エイワットは2022年で創業50周年を迎えた。
半世紀を超える祝福の鐘は、行進のドラムロールだった。

コロナウイルス感染拡大に端を発し、様々な業界で材料の不足、急激な円安により輸入部材の高騰、主要産油国であるロシア・ウクライナ戦争によって原油価格が高騰。
更にはFIT(固定価格買取制度)の終焉。

これまでの在り方が見直され、まさに新時代の幕開けである。

エネルギー価格の高騰により、FITに頼らない完全自家消費型太陽光発電設備や、第三者所有型(PPAモデル)太陽光発電設備の建設需要が急増する。本当の意味で再生可能エネルギーの必要性が証明された瞬間だった。
「SDGs」、「カーボンニュートラル」、「ESG」等、環境を意識した言葉も一般的に認知が深まり、一歩ずつではあるが着実に未来と現実の距離は近づいている。

未来の子供たちが健やかに暮らせる未来の実現に向けて、行進のドラムロールは鳴り響いている。

最後に

エイワットの事業は一歩先を見据えた視点から出発します。一歩先の道なき道へ進むということは、現状を良しとせず、変化を恐れず、あるべき未来を実現する為に、いかなる困難も乗り越える力が必要です。世界的にも地球環境が大きな問題になっている昨今。これからの循環型社会では、地球規模で問題を捉え、地球規模で改善策を考え、それぞれの地域・企業・個人がその課題を実施していかなければなりません。素晴らしい自然を未来の子どもたちに残すのは、今を生きる私たち大人の大事な使命です。エイワットの事業は、金属機械加工、太陽光発電、風力発電、マイクロ水力発電、スマートコミュニティ、サイバーセキュリティ等、数多くあります。これらのサービスは人々の暮らしをサポートするツールであり、本質は『人の和』にあります。持続可能なエネルギーを推進し、100年、200年先も健やかに人々が暮らせる社会を構築することで、足元から未来を創造致します。